17/05/31
元日銀「ITオタク」と称される岩下直行先生が語る
京大・フィンテック・金融政策
日銀フィンテックセンター創設、初代センター長として采配を振られた岩下直行先生が、4月から京大公共で金融政策の教鞭を取られています。エコノミストで金融ITのエキスパートという異色のご経歴をお持ちの先生に、京都の印象から金融政策まで幅広く語っていただきました。(聞き手 8期OG祐野恵)
◇歴史好き
―― 京都の印象について尋ねると、岩下先生が手にされたのは1冊の著書「ナゾと推論」。下関支店長時代の地元の歴史に関する寄稿や講演を取りまとめられたものだった。
基本的に、歴史がとても好きなので、京都の街を歩くのはとても好きです。今、知りたいと思っているのは、河原町二条、河原町三条なのに、なぜ「四条河原町」なのかということ。色々聞いてみたら、一説には市電が走っていたときの駅名の名残だとか。他には、四条通りはえらいから、四条河原町なんだという説もあって。だけど、なぜ四条だけが、えらいかわからない。その辺は、掘ればいっぱい出てくると思って楽しみにしています。
それに、京都は、京都を好きな人が集まっている街だと思います。タクシーの運転手さんだろうが、床屋のおじちゃんだろうが、売店のおばちゃんだろうが、ほんとみんなフランクに京都のいいところを教えてくれる。そうすると、僕もフランクになって、東京にいるときはバス停で誰かに話しかけることなんてないのに、京都にいると、見知らぬ観光客にバスの乗り方を教えてあげたくなる。京都には、そういう不思議なものがあるなぁと、思います。
◇京都大学
―― 元日銀のIT司令塔で歴史家、異色の経歴をお持ちの岩下先生の目に京大はどう映るのだろうか。
みんなから、京大は自由だ、自由だという話を聞いていて、実際に赴任すると、確かに(笑)。日銀の金融研究所に勤務していた頃、そこはRMを担当する部署でもあったので、大学との付き合いが多かった。大学の先生方は基本的にどこの大学でも一定自由だけど、その事務方の印象は大学ごとに変わります。例えば、東大は、大学としてブランドを上手に使っていこうと、戦略的に取り組んでいるから、ちょっと窮屈なところもある。それに比べると慶応は、もう少し緩やかだけど、その代わり慶応大学関係者の一体感がとても強い。早稲田は、比較的自由だけど、いろんなビジネスをやっていて、ビジネスに対する思いが強い。
京大は、ブランドはあるけど、それをコントロールしようという意識はあまりない。それぞれが勝手に進めている部分があって、それが良さになっているよね。だから、ノーベル賞も多いのだろうし、独創的な研究者もいらっしゃると思う。その反面、みんなで一斉にある方向へ力を合わせるのは、難しい印象がある。東大がシステマティックに動いているのと比べると、京大は古色蒼然たる学問の府の風合いを残している。大変好ましいと感じますね。
一方で、僕がやってきた、金融、情報、IT、フィンテックという世界は、理念が先行しているわけではなく、ある意味で、お金の力で動いてしまう。どういうことかというと、従来、銀行は、大きなビルを一等地に建てて、3時にはシャッターを下ろして、信用を集めて商売をやってきた。メガバンクのシステムには、大きな資金を投入しているものが幾つもある。ところが、インターネットの普及によって、非常に安く事業を展開できる金融機関が出てきた。大きな資金を次々に投入している人達と、インターネットを使ってタダでできる人達が、競争をしたら、どんなに従来型の銀行の人達が資金力を持ち、かつ一等地に会社を構えて、優秀な人達が携わっていたとしても、やっぱり勝負にならない。フィンテックが注目されている理由は、立派な思想や哲学があるからではなく、安いし儲かるという極めて即物的な理由だよね。それは、京都大学で、それぞれが哲学や理念を持って取り組んでいるのとは、違う原理原則が働いている。だから、フィンテックの拠点として、京都大学は、そんなに適したところでは、もしかしたら無いのかもしれない。
ただ、これからの銀行を変えるのは、変人だと思っています。メガバンクのフィンテック担当者が集まると、これまで銀行一の変わり者だと言われていましたという人ばかり。世の中のメジャーな流れに対して、自分の世界を大事にしている、でも能力は高いから周りと伍してやっていけるという、優秀な変わり者はとっても貴重だよね。そういう意味で、京都大学の教育は、優秀な変わり者を輩出するのに適していると思います。
◇変人
―― 「根底のところで、ちょっと変人」と自ら語る岩下先生に、変人であることの価値とその実践を聞いた。
裸の王様を見て、僕は「王様は裸だ」と言っちゃう方。その方が、精神的なストレスが無くなる。そして言ってしまうと、どうすべきなのかという、ある種の責任が発生する。そこに、変人である価値が存在して、かつ、それを実践しようとしてきたんだよね。
例えば、日銀の支店長会議。支店長会議の原稿は、紙に作って、それを読みます。でも、前の支店長の発言を受けて書き換えたいときがある。発言の持ち時間が決まっていて、図表は使えないという制限があるなかで対応しようとすると、パソコンを持ち込んで、文字数を合わせて、最適なものを作り上げて、読んだ方がいいなと思った。そこで、パソコンを支店長会議の席に持ち込んで、その画面を見ながらスピーチをしたわけですね。それは、未だに、僕一人で、空前絶後。マスコミが大きく報道することもある支店長会議で、紙の資料しか机の上に置いてないのが普通で、そこにパソコンを置くって言うこと自体がある種勇気のいることだったけど、そんなことを誰かが最初にやらないと変わらないと思って。
それに、デジタルプレゼンも。1994年に、ニューヨーク連邦準備銀行に研修に行ったとき、アメリカではちょうどパワーポイントが流行り始めた頃だった。OHPやプロジェクターを持ってきて、誰もがデジタルプレゼンを一生懸命やっていた。ところが、日本に戻ってきて、デジタルプレゼンをやりたいというと、みんな口をそろえて、プレゼンテーションは中身で勝負するものだ、そんな見た目で勝とうと思っちゃいけない、って言うわけよ。デジタルプレゼンなんて、けしからん、あれはデジタル紙芝居で、あたかも立派な仕事をしたかのように見せるなんて、その精神がもう許せない、と口々に。やってみましょうと一生懸命説得したけど、誰も乗ってくれない。仕方ないから、30万円ぐらいのプロジェクターを自分で買って、スライドを作って、必死にやった。そしたら、だんだんと、僕のところに貸して欲しいという注文が殺到するようになって、それで普及したことがあった。僕としては、出来るだけアーリーアダプターであろうとしたわけです。
でも、アーリーアダプターだから、たぶん、非常に多くの無駄もしています。早物買いで、値段の高いものを買って、例えば、DVDレコーダーはすぐに故障して動かなくなった。それでも、最初に世に出たデジカメのカシオのQV10は自宅にあって、初期のiPhoneと一緒に博物館のように飾っている。もちろん、もう全く動かないけど、今の時代を作ったんだなと思って。そういうものによって、世の中が変わっていくときの、変わっていくことを推進する側になりたいって、いつも思ってきました。
◇フィンテックまでの歩み
―― 変化を推進してきた岩下先生が立ち上げた日銀のフィンテックセンター。立ち上げまでの歩みを聞いた。
どの時期のインターネットに接したかで、その人の人生は変わると思っている。インターネットを推進する側であった人というのは、村井純さんをはじめ、みんな、手弁当で携わっていた。だから、そんなものだと僕も思ってきた。村井純さん、亡くなった山口英さん達と話していたのは、これからインターネットのセキュリティ問題は色々出てくる、犯罪に使われたり、人が死んだりという可能性もあって、そうなったら、インターネットを普及させた俺たちが悪いと言われる、だったら、そのつもりでやろうということ。将来、自分達が責められるのを前提に、どうやったら、その責めを少なくできるか一緒に考えようとインターネット仲間で言い合っていた。それは理不尽だけど、理不尽だと言うと、インターネットなんてやらないとなるから。理不尽なのは仕方ない、そこは諦めてその代わり、一生懸命、対策やろう、政府を巻き込んでいこうと話していた。奈良先端科学技術大学の教授だった山口英さんは、昨年の5月に他界したけど、彼がいたから日本のインターネットは動いて、日本の銀行のセキュリティ対策は向上した。一緒にできたことを僕はとても誇りに思っています。
こうした経験があって、金融の世界でも同じように、セキュリティ対策をやりましょうと研究の一環として言えた。それが、今のフィンテックやブロックチェーンに繋がっている。だから、僕自身はフィンテックを推進する立場というより、フィンテックの結果、生じるだろう問題の対策を考える立場にあった。どっちかというブレーキ役だったよね。
同じことが、プライバシー保護についても言える。ビッグデータを利用するとき、データが不用意に利用されると、TUTAYA図書館のように、みんなすごく嫌がるから、納得づくで、データを使うためにはどうすればいいだろうと当時考えていた。それを色んな中に組み込んでもらうことをやってきたけど、そうすると、どちらかというと、イノベーションを止める役回りになっていた。
その結果、セキュリティを守らなくちゃいけない、プライバシーを守らなくちゃいけない、だから、インターネットは使わない、個人情報は預からない、という方向に金融機関がどんどんシフトしてしまったよね。それは世の中のトレンドと違う。そこで、ITの問題点の解決策は見つけてあるから、金融をより活性化させる手段としてどう使うのか、もっとプロモートしなくちゃだめだと思うようになった。だから、ここ4年ぐらい、セキュリティの専門家であることは敢えて忘れている。
実は、4年ほど前に、世の中と金融のITのギャップを相当まずいと感じた。それを感じたのは、日立に出向して戻ってきたとき。しばらく、金融のITの世界から遠ざかっていて、その間にITはこれほど進んだのに、金融は何で進んでいないの、っていうのが僕にとってはすごいショックで、それでなんとかしなきゃいけないと。それで、日本再考戦略にフィンテック的なことを書いてもらったのが2015年だった。
◇フィンテックセンターの立ち上げ
―― ブレーキ役からプロモートへ。フィンテックセンターの稼働。
日銀には、銀行、信用金庫、証券合わせて、取引している会社が500社ほどある。その社員の考えは、すごく均質。まるで、大日本銀行というコマーシャルバンクに、それぞれ支店があるように。そこには競争もなければイノベーションもなくて、成長もない。その結果、儲からない。銀行は、これまで規制のもとで、一定のレントを得てきたので、そのレントを使って、一等地に支店を置いて、3時に閉めて、巨大なデータセンタで巨大なコンピューターを使うことが許されてきた。だけど、そのレントが少なくなってきた。その一方で、インターネットを使った、フィンテックが登場して、これまで通りのことをやっていたら、とても生き残れない。その認識を、各金融機関に持ってもらわないといけなくて、働きかけをしたら、前と比べるとね、金融機関の反応は非常に良かった。
それで、ちょうど1年前の4月に、日銀のフィンテックセンターというのをつくったんですね。それまでは、金融高度化センターという別のセンターの長をやっていたので、フィンテックセンター長を兼務することになった。高度化センター長兼フィンテックセンター長という、日銀らしからぬ、肩書きがいっぱいついた名刺を持って。驚いたことに、フィンテックセンター長になったとたん、マスコミの取り上げ方がすごく変わった。日銀がフィンテックに対して、新しい組織までつくって対応している、本気だというのが伝わったらしい。
それから、暗号のPh.D.を持つ人を異動してもらったり、金融のITのエキスパートを採ったり、それなりの規模にしたわけね。さらに、日銀にある3つのセンターの長をフィンテックセンターの兼務者にしたの。そうすると、その3つのセンターを、全部合わせると30人ぐらいになって。30人のフィンテック部隊がいるんですよって言ったら、世界中の中央銀行のどこよりも強いのね。
他にも、日銀は暗号のPh.D.を持っている博士号取得者が4人いる。これは、フィンテックセンターの前に、情報技術センターをつくろうとしたとき、暗号のPh.D.をたくさん雇いましょう、といってすごく反対されたんだけど、そのときに何とか3人、翌年1人確保できた。暗号の博士号を持っている人が合計で4人いる中央銀行は、世界中見渡してもない。そういう意味では、フィンテックで、中央銀行デジタル化とか、現金を無くして、デジタル的なものにだんだんと変えて行きましょうっていうときに、まさに必要な人材を、確保することができた。これは、日本銀行に多少は残してあげられた一種の遺産だと思うから、おおいに使って欲しいなって思っているね。やっぱり人材が大事ですよね。
◇金融政策と地方
―― アベノミクスによる株価上昇の反面、景況感の改善しない地方。今後、地方はどう対応すべきか尋ねた。
地方の経済を考えるとき、中央との情報の格差とか、スピードの差というのは無くなってきているはずなんだよね。インターネットが広く普及した世界では、東京である必要は無くて、どこに金融機関が基地を置こうと、大企業が本社を置こうと、地方で取引をやって、自由にネット上で様々な製品を協議して、作っていくことかできるはず。そういう意味では、地方の過密過疎の問題から自由になる武器は手に入れている。
一方で、みんな、東京になびくわけじゃない。それは、人口が減る中で、従来と比べて儲かる土地というのが、例えば不動産の値段が上がりそうなところ、賃料が上がりそうなところは、都心とその周辺しかない。そいうことを踏まえて、再アロケーションが必要になってきているよね。これまでずっと低金利、ゼロ金利の元で沈静化していた、いろんな問題がポジティブな金利が付いたとたんに、やっぱり、これはまずいよねというのが色々出てくる。
例えば、地方の都市の不動産価格というのは、実態価格としてはもっと下がらないといけないけど、取引をしないことで公示地価が高くなっている実態がある。それは、どこかで調整されないとおかしい。そういう意味では、長い期間、調整されなかったことを調整する、その結果として既得権益者に対してショックが起こるのは、しょうがないことだと思う。
フィンテックというのは、金融という比較的均質的な人達が、一斉に、これまでの金融じゃまずいということに気が付いて、その結果、大ブームになったわけだけど、同じようなことは、これからいろんなところで起こってくる。これまでの金融緩和や中小企業に対する金融円滑化など、特別な状況から自然なところに戻ったとたんに。そして、巻き戻るばねっていうのは、当然あるんだから、それに備えておくことが必要だよね。
金融政策の話をするときには、原理原則の話ばっかりして、今の話題は取り上げないんだけど、それはしても仕方がないから。その基本になっている考え方をいかに身に着けていくかによって、次の変化に対応できるような人を、人材を育てていく必要があると思っています。できればそれは京都大学なんだから、ちょっと変人でいて欲しいなっていう感じがするんですね。